【R30】僕らがフリージャーニー

会社に縛られず好きな仕事で自由に生きたいアラサーひとり起業の「準備」ブログ

派遣でオチメ続きの私に最大のチャンスがやってきた(その2)

2011年当時..
 
僕には10歳以上、
年の離れた彼女がいました。
 
東京の江戸川区にある
小さなアパートで
同棲をしていました。
 
職場も一緒でした。
 
正式なお付き合いを始めて、
もう数ヶ月で
2年という時、
 
その瞬間は訪れました。
 
(前回からの続きです)
28歳ズタボロ人生に最大のチャンスがやってきた(バングラ1)
 
物流倉庫の社長..
 
彼は僕に質問しました。
 
「何かやりたい事はあるのかい?」
 
僕が回答するまで..
 
時間にして
ほんの一瞬だったと思いますが、
 
相当な数のやり取りを
頭の中で問答したのを覚えています。
 
 
バンド..?
 
いやいや。
 
今さら人に伝えるのは..
 
もう遅すぎるでしょ?
 
大した努力もしてない..
 
感覚でしかありませんが、
この回答は凄く重要な事に
感じられたのです。
 
「自分は..」
 
「人生のどこかで」
 
「海外で生活したいと思ってます」
 
・・・
 
(何も進めてないけど..)
 
僕の回答を聞いた
社長の反応はというと、
 
自分も若い頃に
 
東南アジアを転々と
 
バックパックひとつで
 
数カ国をハシゴした..
 
そんな経験があったり、
 
実は会社の方でも
中国や他の国との
プロジェクトがあって..
 
など、
 
「海外」に共通した
話をしてくれました。
 
僕は自分の出来る限りの
相槌を打ちながら、
社長の話に聞き入っていました。
 
社長はスーツ姿。
 
僕は自前で揃えた
汚れても平気な作業着。
 
というか、
 
上はジャージ、
下はデニム
手には軍手。
 
僕の周りの人間も
同じような格好ばかりです。
 
ちょっとした余談ですが、
 
「スーツで仕事する人」
 
=自分に縁のない人
 
=ステージの高い人
 
アルバイトや派遣でしか
経験のない僕は、
そんなイメージを持っていました。
 
なので、
 
社長との会話をしながら
僕が思っていたことは、
 
(自分みたいなのでも)
 
(社長クラスの人と会話できるんだな..)
 
(話してみると意外に普通だな..)
 
そんな風に感じていました。
 
社長との会話も
何となく終わりそうな頃、
 
ふと何かを思い出したかのように
彼は僕に尋ねました。
 
「中嶋くんさ..」
 
バングラデシュに行ってみないか?」
 
バングラデッシュ??」
 
「ですか..」
 
「国旗が日本と似てる国ですよね?」
 
「うん、そう」
 
「で..」
 
「そこに行って何をするんですか?」
 
聞いてみると、
 
「社長と過去に事業を一緒した」
 
バングラ人の友達が」
 
「現地でホテルを建設中」
 
「日本人のビジネスマン向け」
 
「現地では辛い食事ばかり」
 
「長期で滞在する人も多い」
 
「毎食カレーは肌に合わない」
 
「英語は通用するけど」
 
「日本語を聞くとホッとする」
 
「シンプルでいいから和食が欲しい」
 
といったように、
バングラで働ける
日本人を探していたとの事..
 
英語は出来なくても
覚えていけばいい。
 
料理もカンタンでいい。
 
おにぎり、焼きそば、
味噌汁くらいでOK。
 
料理もだんだん
出来るようになればいい。
 
との事でした。
 
それを聞いた僕は..
 
まだ行くとも
決めていませんでしたが..
 
「社長!」
 
「僕..」
 
「調理師の免許持ってるんです」
 
「え??」
 
「そうなの?!」
 
「じゃあ、お前で決まりだな!」
 
ものの5分、10分の
会話で決まったのですが..
 
内心は断ろうと
思っていました。
 
(いやぁ..)
 
(急には決められないよな..)
 
(彼女いるし..)
 
(アパートとかあるし..)
 
(それに..)
 
確かに、
 
僕は海外での生活を
夢見ていました。
 
が、
 
それは欧米圏での
生活イメージでした。
 
ニューヨーク、ロサンゼルス、
ロンドンやシドニーなど..
 
 
どんな所かも
一切、想像がつかない..
 
何となく、
肌が浅黒い感じ?
 
治安とか分からないし..
 
どうしよう..
 
 
続きます。

派遣でオチメ続きの私に最大のチャンスがやってきた(その1)

僕の人生が
キュルキュルキュルっと
エンジンが掛かり..
 
ギュルン!と、
動き出した
衝撃の10分間でした。
 
2011年の秋..
 
木枯らしの吹く
千葉県にある物流倉庫で..
 
夕暮れに差しかかる頃..
 
大手の量販店に
お菓子を卸す
配送センター。
 
28歳の僕はそこで、
契約社員として
働いていました。
 
当時の僕は、
 
東京から千葉に
電車で通う..
 
週6で仕事..
 
会社では
搬入・搬出の
フロアリーダー..
 
倉庫で段ボールを運んだり..
 
10tトラックから
出てくる商品の検品をしたり..
 
1m50cm四方の
プラスチック素材の
パレットに荷物を積み上げる..
 
「誰でも出来る」
 
「単純作業」
 
そんな仕事を始めて4年目..
 
プライベートでは、
 
おじさんバンドに
ベーシストとして加入..
 
ライブが出来る
地下レストランで..
 
月に1度は演奏..
 
「いつかはバンドで」
 
儚い希望を持ちながら
もう直ぐ30歳..
 
「どうすればいい..」
 
「もっと現実に考えなきゃ..」
 
「でも何をすればいいのか?」
 
しかし、
 
リアルからは
逃避する日々。
 
仕事の帰りは
同僚とスタンド居酒屋..
 
会社と仕事の愚痴ばかり..
 
極め付けに、
休みの日はパチンコ三昧..
 
積み重なる借金..
 
金額は200万以上..
 
短期的な欲求が
抑えられない
ズタボロ人生の
真っ最中でした。
 
「バンドも趣味でいいかな..」
 
それでも諦めきれない
夢が一つだけありました。
 
それが、
 
海外で生活をすること。
 
だけど、
 
その夢に向かって
何か行動を起こすという事は
一切していませんでした。
 
というか、
正確には
 
何をしていいのか
分かりませんでした。
 
悶々と過ごす毎日..
 
会社と家の往復。
 
いつまで経っても変わらない..
 
給料日だけが生きがい..
 
・・・
 
でも、
 
闇があれば光があるように..
 
突然でしたが、
それはやって来ました。
 
それが、
 
社長との出会いでした。
 
ある日の休憩時間..
 
喫煙所で
何の気もなしに
タバコを吸っていると、
社長も一服しに来ました。
 
今でこそ、
 
目上の方とも
気さくに接することが
出来るようになりましたが
 
(うわ..)
 
(気まずいな..)
 
(さっさと戻ろうか..)
 
当時は「社長」という
自分とは無縁の存在に
かなりビビっていました。
(すごく温厚な方です)
 
で、
 
案の定、
声をかけられます..
 
「ご苦労さん」
 
「現場の調子はどう?」
 
「はい、定時には終わりそうです」
(面倒くさいなぁ..)
 
「中嶋くん..だっけか?」
 
「1階のリーダーやってるんだって?」
 
「はい..」
(何で知ってるんだ?)
 
そこから、
 
年齢はいくつか?
 
どこに住んでるのか?
 
勤めて何年になるのか?
 
グイグイと質問され、
個人的なことを
色々と話しました。
 
10分の小休憩も
そろそろ終わりそうな頃..
 
社長が"ある質問"を
してきました..
 
 
続きます。

3秒で決断「そうだ、京都住もう」即決のワケとは?

今から6年前。
 
2012年..
 
僕の人生を大きく揺るがす
転機が訪れました。
 
このブログにも
今後、数多く出てくると
思いますが、
 
「東南アジア」
 
バングラデシュに住む」
 
「契約は1年間」
 
「その間は帰国禁止」
 
「建設途中のホテル」
 
「和食レストランで雇われシェフ」
 
「ゼロから立ち上げ」
 
「日本人は自分だけ」
 
「従業員との会話は英語」
 
「調理スタッフは現地語のみ」
 
経験については別で
お話ししますが、
 
この国にトータルでは2年半
滞在していました。
 
で、
 
その時に得た教訓として
もっとも大きかったもの。
 
それは..
 
『回避不可能な場所で』
 
『孤独になると』
 
『人は進化できる』
 
ということ。
 
現地の言葉は
ベンガル語と言いますが、
 
現地語も英語もろくに
分からない状態で
仕事をしていました。
 
途中で何度か、
 
「もう、嫌だ..」
 
と、諦めそうになるものの、
日本に帰ることは出来ませんでした。
 
追い詰められた空間..
 
そんな状況にいると、
早い段階で自分に変化が
起きてきました。
 
住み始めて
3ヶ月が経った頃..
 
休憩時間に自室のテレビで
観ていた時のこと。
 
日本語の吹き替えなどは
一切ありません。
 
映像には英語の字幕が
付いてきます。
 
「…」
 
「ん??」
 
 (耳を澄ます)
 
「え???!」
 
「ウソだろ??!」
 
「…」
 
「うわ〜!」
 
「この感覚か!」
 
「すごい!どうしよう!!」
 
何が起きたのかというと、
 
耳に入ってくる英語が
脳みそと密接にリンクした瞬間が
訪れました。
 
よく、英語の教材などで
 
「英語のシャワーが降ってくる」
 
などと、表現されますが
正にアレでした。
 
日本で生活していた時にはない、
不思議な感覚でした。
 
3ヶ月で英語でのコミュニケーションが
出来るようになり、
 
5ヶ月後には
ベンガル語が分かるようになり。
 
派遣やアルバイトで
飲食店や倉庫での作業しか
経験したことのなかった自分が、
 
ワード、エクセル、パワーポイント、
ペイントソフト、動画編集など
 
独学でスキルを習得していきました。
 
逃げ場のない、
追い詰めたられた状況にいると
自然と進化を起こすことができます。
 
この時の経験をもう一度
実現しようと思い、
 
僕は京都にやって来ました。
 
実際にはバングラデシュ
その他の海外に住むことから
比べたら、
 
イージーレベルです。
 
が、
 
今回は自分のビジネスを
大きく進化させようと計画して
東京を離れました。
 
また、
 
ここ数ヶ月
運命学や方位学と言った
 
「気学」
 
を学んでいましたので
その影響も背中を押しました。
 
「東京から見て」
 
「西は吉方位」
 
「最長で2年間」
 
「たった一人になって」
 
「ビジネスを発展させる」
 
 
なぜ、京都なのか?
 
端的にお答えすると、
大して行ったことが
無いからです。
 
自分の心と向き合った時に
何となくいい感じがした。
 
それに、
 
・吉方位であったこと
 
・家賃が安く広いこと
 
・関西の知識があまり無いこと
 
・日常で神社やお寺に触れたかったこと
 
・新たな友人を作るチャンスとなること
 
他には、
 
東京にいると
家族に甘えてしまったり、
 
友人から
飲みのお誘いが入ったりと、
誘惑が待ち受けています。
 
それはそれで有難いことですが、
3年、5年後を考えると
今に大きく動いた方が
未来が良くなると考えました。
 
こんなことを話すと、
 
「凄いですね」
 
「行動力がありますね」
 
など言ってくれたり
するのですが、、
 
普段から多くの人達がしない様な
選択肢を考えておくと
自然に出来る様になれる。
 
そんな気がします。
 
もし、
 
あなたが
今の自分を変えて
大きくステップアップしたい。
 
そう考えたり、
願うのであれば
一つだけオススメがあります。
 
それは、
 
日常から、
小さく小さく、
 
「非常識な行動を取る」こと。
 
ドカンと大きく
動くのは後々で大丈夫です。
 
小さく行動してみることが
ポイントです。
 
すぐに出来そうな
アクションを提案するとしたら、
 
駅までの道のりを
いつもと変えてみる
 
とか、
 
ランチをする時の内容
 
または、
 
お昼の休憩で
いつもは全く行かない
方向へ5分多く歩き出してみる。
 
コツコツ続けてみると
自分のパターンや
新しい可能性に出会えることも
多くあります。
 
まずは
 
「小さく非常識を選ぶ」
 
これを意識するだけでも
日常が変わってくると思います。

ツラい仕事を劇的に面白くする3つの質問とは?

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退屈なシゴト..
 
 
変わらない毎日..
 
 
理不尽な要求..
 
 
積み上がるタスク..
 
 
迫ってくる納期..
 
 
「いつまでに終わるの?」
 
 
上司の視線がイタイ。
 
 
「なんで自分だけ..」
 
「あの人はいつもラクばかり..」
 
 
 
高校を卒業してから、
2018年の9月まで。
 
 
正社員についた事は
一度もなく。
 
 
アルバイトや派遣を
繰り返しながら、
仕事をしてきました。
 
 
正式に思い出すと、
思考が一時停止しそうなくらい
 
 
沢山の職種を経験してきました。
 
 
そんな僕が、
 
 
会社生活から卒業..
 
 
独立をして..
 
 
東京から京都に移住をして。
 
 
今では、
 
自分のタイミングで
「好きな仕事」をする。
 
 
そんなライフスタイルを
実現することができました。
 
 

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京都に移住してくる前..
 
 
サラリーマンの聖地と呼ばれる、
 
 
「東京の新橋」で
 
 
派遣社員をしていました。
 
 
派遣先となっていた会社は
リクルートキャリア。
 
 
就活した経験がある方であれば、
誰でも知っていると思われる、
 
 
有名なナビサイト。
 
 
そこで僕は、
 
 
掲載をしている企業に
求人アドバイザーとして
毎日のようにコンサルをする。
 
 
トータルで数えてみると..
 
 
3年ほどお世話に。
 
 
これまでに経験した
過去の仕事に比べると、
 
 
時給が高かったり、
 
 
勤務するオフィスも
居心地よかったり..
 
 
派遣社員とはいえ、
冷遇されるような事は
殆どありませんでした。
 
 
が、
 
 
「ストレスが全くなかったか?」
 
 
といえば、
 
 
右手のひらを
目の前にかざして
 
 
ブンブン振りながら
 
 
「NO」と
 
 
答えます。
 
 
仕事をしながら
生活を送る分には
申し分ないほどの待遇。
 

 

一体、何がストレスだったのか?

 
・タスクを終えられず残業
 
 
ニガテな同僚や上司とのやり取り
 
 
・営業目標によるプレッシャー
(コンサルをしながらセールスもしてました)
 
 
・クレーマー気質のお客との会話
 
 
・担当企業が矢つぎ早に増えていく
(多い時は120社を抱えていました)
 
 
 
ザッと思いつくものだと
こんな程度です。
 
 
お読みいただいている
アナタも、
 
 
シゴト内容は違っても
似たようなストレス原因を
抱えたりしていないでしょうか?
 
 
他には、
 
 
時間がかかる..
 
 
嫌な仕事をやらされる..
 
 
後輩が言うことを聞かない..
 
 
環境がそもそもイヤだ..
 
 
人使いが荒い..
 
 
給料は少ないのに..
 
 
 
抽象的ですが、
こんなケースもありそうです。
 
 
で、
 
 
「ストレス」って
どうして起こるのでしょうか?
 
 
正解という訳では
ありませんが..
 
 
深く掘り進めると、
 
 
『コントロールの効かないもの』
 
 
だと僕は感じます。
 
 
もう少し具体的にすると、
 
 
・興味がない
 
・将来に役立たない
 
・新しさがない
 
・時給とイーブンの内容じゃない
 
 
他にもあると思いますが、
 
 
心から楽しめない
退屈な仕事たちと
直面しなければいけない。
 
 
だからこそ、
 
 
ストレスが溜まるのだと思います。
 
 
僕も同じでした..
 
 
ただ、
 
 
「ある時」から
それまでの苦痛な仕事が
それほど嫌じゃなくなりました。
 
 
それが、
 
 
『自分への質問を変えてみる』
 
 
ということでした。
 
 
 
その質問とは、
 

 

1.今の仕事が未来に役立つとしたらどんなことだろうか?

 
 
実は、
 
 
派遣されることが決まってから、
 
 
「絶対に自分の独立へ役立ててやる」
 
 
そう思って入社しました。
 
 
僕が将来にやりたかったこと。
 
 
今後にもっと詳しく話していきますが、
 
 
コンサルをメインに
稼いでいくことでした。
 
 
そこで考え始めた事は、
 
 
・何社までだったら担当の名前、
 役職、人がらを覚えられるだろうか?
 
 
だったり、
 
 
基本の業務内容が
電話での対応でしたので、
 
 
”声だけ”の表現力なども
将来に役立ちそうでした。
 
 
また、
 
 
僕が思うコンサルに必要な要素とは
知識や情報よりも
 
 
共感することや
相手を理解することだと
考えていました。
 
 
なので、
 
 
「未来に役立つとしたら?」
 
 
この質問によって
同僚や上長との会話内容も
ひと味変わっていきました。
 
 
そこで気づいたことは、
 
 
大体の人間が
 
 
「自分の話を聴く
 相手の話には
 聞く耳を持ってくれる」
 
 
こんなことを学びながら
働くことができました。
 
 
ポイントは、
 
 
自分の将来や未来、
興味のある分野に
今の仕事を引きずり込む
 
 
質問をしてみることです。
 
 
例えば他に、
 
 
・今の仕事を..
 
 
「新しい趣味の発見に役立てるとしたら?」
 
 
「3年後に役立つとしたら?」
 
 
「好きな仕事をするために役立てるとしたら?」
 
 
こんな質問に発展させるのも
アリだと思います。
 
 

 

2.社長だったらどんな仕事をするだろうか?

 
 
「今の仕事が嫌だから会社を辞めたい..」
 
 
こんな悩みを持つ方から
相談をいただくケースが頻繁にあります。
 
 
イヤな仕事を
ずっと続けるのって
本当に辛いですよね..
 
 
ただ、
 
 
個人的に思うことが、
 
 
会社が嫌だから
起業して上手くいくとは
限らないと考えています。
 
 
というか、
 
 
経験上ですが、
 
 
「嫌だから辞めたい」
 
 
9割近くの人たちは
独立起業しても
上手く行かないケースが殆ど。
 
 
(詳しい内容は別記事で話します)
 
 
だから、
 
 
フリーになって、
好きなことを
仕事にするのであれば..
 
 
最低限。
 
 
仕事がデキる人になってから
独立してもらうように
僕の場合は仕向けます。
 
 
「仕事の出来る人へ」
 
 
一口に言ってみても、
色々な定義があると思います。
 
 
・お客さんからの反応がいい
 
 
・リピーター率が高い
 
 
・上役からの評価がいい
 
 
・若い社員から好かれている
 
 
 
当時に勤めていた、
リクルートキャリアの
社長に会った事はありません。
 
 
が、
 
 
僕は頻繁にこの質問を
自分にしていました。
 
 
もし、
 
 
社長だったら..
 
 
・自分が抱えている仕事をどう処理するか?
 
 
・嫌なお客さんへの対応をどうするか?
 
 
・自分の仕事をどう評価するか?
 
 
実際の評価は
分かりません。
 
 
そして、
 
 
リクルートの社長が
本当に仕事が出来る方なのかも
分かりません。
 
 
ですが、
 
 
ポイントは、
 
 
自分よりステージの高い人間に
なりきってみる事です。
 
 
あくまでイメージですが..
 
 
ちょっと高い建物から
自分を見下ろすような感じです。
 
 
「でも..」
 
 
「うちの社長はグータラで..」
 
 
「とても尊敬できる人じゃないです..」
 
 
そんな事も
あるかと思います。
 
 
分かります。
 
 
僕も中小企業で
働いていた経験が長いです。
 
 
あと、
 
 
リクルートに在籍していた時、
 
 
(意外に企業の社長って
 抜けてるとこあるなぁ)
 
 
ハタから見てたので分かります。
 
 
その場合は、
 
 
あなたの身近にいる
バリキャリの先輩だったり、
取引先の方だったり。
 
 
または、
 
 
ドラマ、映画やアニメの
憧れのキャラクターに
成りきってみるのも面白そうです。
 
 
 

3.最高に面白くするにはどんな工夫をするか?

 
これも僕の過去の経験談から
お話しをするのですが..
 
電話での応対が
主な業務でした。
 
1日平均で換算すると、
10〜15社の担当者と電話していました。
 
仕事とはいえ、
電話したくない日もありました。
 
電話で話す内容と言えば、
 
・求人に関するサイト手法の提案
 
・次年度ナビ契約の営業
 
など、
 
平たく言えば、
ナビサイト活用のサポートと
契約更新の2つが業務でした。
 
特に僕がニガテだったのが、
電話での営業でした。
 
新しい機能や
次年度の採用に関する
市場感だったりを
電話で事細かに伝える..
 
カッチカチに硬い内容です。
 
今、思い出しても
イヤだったなぁと感じます。
 
でも仕事をしなければ
マズイわけです。
 
で、
 
そんな僕が
フザけ半分、マジメ半分で
やったことが、
 
「お客さんと仲良くなるためだけの電話をしてみる」
 
サポートでもない、
営業でもない。
 
小さなテストと思って
やってみました、
 
「これと言って特にないんですが..」
 
「〇〇様の声が聴きたくなって..」
 
「何か困ってることありませんか?」
 
こんな感じで会話を始めて、
世間話に発展したり
する事もありました。
 
こんな非常識な事を
どの同僚もやっていなかったので、
 
最初はとても緊張しました。
 
(こんな事して大丈夫かな?)
 
が、
 
意外にも、
電話の向こうにいる
担当者からは好反応。
 
(相手も人間でサラリーマンだものね)
 
そんな気づきがあったり。
 
そして更に驚いたのは、
 
実践してみた後の方が
セールスがし易かったこと。
 
営業や効果的なセールスについては
別テーマを設けて
書いてみたいと思いますが、
 
何が要因かと言えば、
 
・信頼残高が上がった
・僕という人間を前より理解してくれた
 
こんな感じがします。
 
ポイントは、
 
自分が普段、
どんなことを行動すると
ポジティブな感情になるか?
 
僕の場合は、
 
他人と話をして
昨日よりも今日、
今日よりも明日。
 
と言った具合に、
 
双方に理解力を高めていく行為が
自分の感情アップにつながります。
 
なので、試験的に
自分の仕事に取り入れてみました。
 
で、
 
もしあなたが3つ目の質問をして、
考えてみたとき。
 
出てきたイメージや答えを
必ずしも実践しなくても
いいと思います。
 
普段は考えてもみなかった
角度から物事を考えてみたとき。
 
いつもと違った答えや
イデアを出せる。
 
同じ時間を
いつもの仕事に費やすのであれば、
 
その視点だけでも
自分の未来にプラスして作用すると
僕は感じます。